第4回 クラフトエイドのはじまり
〜アジアの手仕事の魅力/クラフトエイドのフェアトレード〜
1985年から7年間ほど、シャンティ国際ボランティア会は、タイの東北部にあったラオス難民キャンプ・バンビナイキャンプで印刷所と図書館活動を中心とした援助活動に携わりました。
当時、タイにはカンボジア、ラオス、ベトナムからインドシナ難民が大挙して避難しており、各国境に多くの難民キャンプが作られていました。バンビナイキャンプは、ラオス難民の中でもモン族という山岳民族が中心のキャンプで、シャンティ国際ボランティア会は、このキャンプの一番奥の小高い土地を活動場所として定めました。その同じ敷地内に、モン族のハンセン病患者とその家族たちが住んでおり、この出会いがモン族という山岳民族との交流のはじまりになりました。
毎日遊びにくる子どもたち
シャンティ国際ボランティア会の作った小さな図書館には、毎日子どもたちが遊びにきました。とんでもないやんちゃな子どもたちで、特に女の子たちのお転婆には手を焼きましたが、そんな女の子たちでも6〜7歳になると、刺しかけの刺繍布を持ってきて、遊びの合間に一心に刺繍を刺し始めるのです。
モンの人たちは、自分たちの衣装をつくるための刺繍をずっと伝えてきましたが、難民となり普段に民族衣装を着なくなった暮らしの中でも、刺繍は子どもたちに伝えられていたのです。
モンの刺繍の伝統と技術に触れた欧米のNGOが、キャンプ内で縫製の指導をはじめたことによって、 彼女らは刺繍を製品化することを身につけました。私たちはそこからアイテムを購入し、1985年難民支援バザーを開催しました。こうしてSVAクラフトエイドの活動が始まりました。
シビライ村の刺繍
そして現在も、祖国ラオスに帰還したモン族の人たちが暮らすシビライ村の刺繍をみなさんにご紹介しています。彼女たちの刺繍は、難民キャンプにいたその頃よりも美しく、模様はその当時よりもずっとバラエティに富んでいます。難民から祖国へとたどった長い時間の中で、彼女たちの美意識が磨かれてきているような気がします。
決して楽ではない日々の生活の時間の中で、彼女たちが、一針一針刺すその刺繍を見ていると、色鮮やかな曼荼羅模様に惹きいれられるように不思議に落ち着きます。
モン族の伝統、国境を越え再び戻ってきた人生、山の風、土の匂い、、、、。
彼らを取り巻くさまざまなものが彼女らの手先で不思議に調和されて、刺繍に映しだされているような気がしてくるのです。
Written by 安井清子
女たちの刺繍会議
(モン族の村にて。安井清子著『ラオスすてきな笑顔』より)
軒下に女たちが集まって刺繍をしていた。針をせっせと動かしながらも大声でおしゃべりをしている。そのおしゃべりにまぜてもらった。
「このスカートどのくらいかかったの?」
「2年かかったよ」
「こっちは?」
「1年かかった」
「へぇー」と私が驚いているとおばあちゃんが言った。
「刺繍が早くできる人はだーれもいないんだよ。私たちモンの刺繍はみーんな時間がかかるのよ。」
「モンの刺繍は機械がやるわけじゃないからね。自分の手と目を使ってやるから、時間がかかるのよ。」
「でもね、刺繍をするのは好きなんだよ。大好きだよ。でも、生活が大変だからできないだけだよ。夜は暗くてできないし、昼間だけだからね。普段は畑仕事や豚や鶏のえさやりとか大変だものね。」
「畑にも持って行くけど、せいぜい一針二針できるだけだよ。畑仕事の合間にね。モンの生活は大変なのよ。」