第6回 クロントイの朝ごはん
〜アジアの手仕事の魅力/クラフトエイドのフェアトレード〜
Written by 菅原信子 『TRANSIT』編集部
人生最高の朝ごはんに出合ってしまった。タイのスラムで。三つ星レストランのディナーより辺境の寂れた食堂で出される野菜炒めを愛するタイプではあるが、人生はわからないものだ。
貧困や麻薬といったイメージで知られるスラム地区、クロントイ。タイ好きの友人は揃って、危ないから行くのはやめたほうがいいと言う。しかし、クロントイに住む人々の支援をしているシーカー・アジア財団(当時)の吉田圭助さんとボランティアデザイナーをしているフジタテペさん、シャンティ国際ボランティア会の渡辺ちひろさんに、写真家の橋本裕貴さんとデザイナーの堀 康太郎さんを通して知り合い、彼らの取材旅に同行させてもらう幸運を得た私に、行かない選択肢はなかった。
3日遅れて到着した私を迎えてくれた旅人たちは皆穏やかでにこやかで、東京で見る彼らとはまた違った雰囲気を纏っていた。宿泊させてもらうクロントイ内のシーカー・アジア財団に荷物を置き、とりあえず朝ごはんを食べに行こうと外に出る。空気がジワリと濃い。歩いてみると、イメージしていた“スラム”感と違うことに驚いた。暗いバラック街で異邦人は冷たい視線を浴びるのかと思いきや、子どもたちが元気に走り回り、屋台や商店には活気があり、すれ違う人たちは笑顔をくれた。昔の日本を思わせる懐かしさがそこにあった。
吉田さんとフジタテペさん行きつけのそのおかゆ屋さんは朝だけ営業している屋台で、時間によっては売り切れてしまう人気店だという。おばあさんがにこやかに、自分の体の半分ほどもある大きなステンレスの鍋をかき混ぜている。男を掴むなら胃袋を掴めとか言うけれど、女だってそうだ。
この味で私は、全身全霊でクロントイの虜になってしまった。滋味深いチキンスープにニンニクと千切りの生姜、肉団子、そしてトッピングでつけてもらう生卵。とろりとした白濁の中をまろやかな黄色が泳ぐ。絶妙に優しい味。初冬の東京から到着して初めての食事だったからなのか、仲間たちのリラックスした表情に心が緩んだからなのか。美味しい、それしか言えないまま、すっかりこの場所に体が馴染んでいくのを感じた。
食後は屋台のコ ーヒー屋さんで Lサイズのアイスカフェラテを頼んだ。お昼はシーカー・アジア財団の食堂で、タイのスタッフと一緒にテイクアウトのカオソーイ(カレーラーメン)を食べた。明るい彼女たちはワイワイと、どこの屋台が美味しいなどの情報交換をしている。
スラムってこんなに楽しいの? 悲壮感はどこにもない。クロントイの道は密集していて、玄関か窓かわからない小さな扉から、テレビの音が漏れ聞こえたり子どもの泣く声が聞こえたり、その距離は圧倒的に近い。どの家にも、当時亡くなったばかりの国王ラーマ9世の写真が飾られている。家と家の隙間を縫って進むうちに自然と私の意識は住民と同化し、気づけば境目をなくしていた。
おしゃべりに興じる女性たちにサワディーカーと挨拶すれば必ず手を合わせて返してくれる。裸で寝ている赤ちゃんが可愛い。上半身裸の男性の刺青がかっこいい。墨で覆われた背中に目を奪われていたら、橋本さんも隣でシャッターを押していた。被写体となった彼は特に嫌がる様子もなく、束の間の時間を写真家と共有していた。
太陽は高く、強い日差しは同時に強い影も落とし、日陰へと逃げながら広いスラムをひたすら歩く。そんな日々を過ごした。
ある夜、バンコク住まいの吉田さんが、スラムだけでなくこんなバンコクがあることも知ってほしいと高級ホテルのバーに案内してくれた。アーバンなファッションピープル、ゴージャスなインテリアに面食らいながら、ルーフトップでワインを飲んだ。眼下に広がるのはキラキラと輝く夜の巨大都市バンコクだが、すっぽりと真っ黒なエリアがある。クロントイだ。
旅の最終日、人がやっと二人通れるくらいのクロントイの通路に置かれた屋台でクイッティアオ・トムヤム(トムヤム麺)を食べた。10 歳くらいの子どもたちが慣れた手つきでナンプラーや砂糖を加え自分好みの味にしている。常連なのだろう。店主はただその姿を見守っていた。
私はきっと、クロントイから戻って変わった。美味しいものも、料理をすることもより好きになった。スラムを旅してのんきなもんだなと思われるかもしれないが、私はその幸福をクロントイで教わったのだと思う。長年この厳しいスラム地区で住民の生活を支えて来た彼らの営みを思うと、じんわり胸が熱くなる。
彼らは今日も、おかゆを、トムヤム麺を作り、平穏に暮らしているだろうか。会いに、確かめに行きたい。それが胃袋を掴まれたものの宿命であるから。
Photo by Hirotaka Hashimoto